昭和40年10月24日 朝の御理解



 昨日私が、奉仕をしております時間でしたが、(おあと?)の伊藤さん、久富さん達のおばさんに当られる方のお導きで、大石さんという方がお参りをして見えて、前に一回お参りになったそうですけども、私がちょうど留守で、テープでレコードだけあの、御理解だけ頂いて、本当にあの、あんなに細々しゅう話して頂くなら私のごと信心の分からん者でも分からせてもらう。
 もう一遍お話を頂きたいと言うてその、言うておられたから、今日はここで落ち合うごとなっとりますと言うて、あの伊藤さんが参ってみえましたらやがて親子で参ってみえられました。お話を聞きますとその子供さんがもう五つ、六つぐらいなんです。息子さんですけれどもそのまぁだものが出らない。その難儀な事です。もう本当に女の子におしいごたるその色が白い目の綺麗な、とっても可愛らしい息子なんですがね。
 ところがその子がそのものを言わん。もう五つにもなる、もう六つにもなるんだけれども、そのものを言わん。まぁ親として、まぁ本当こんなに難儀なことはない、親がおる間は良いけれども、親でもおらんごとなったら、どんなんなるじゃろうか、とこう思うのはこれはまぁ、何処の親でも同じ事だとこう思うんですよね。その方を私お取次ぎさせて頂いてから、神様にお願いをさせて頂きまして。
 本当に私がここへ、親子でこう座るんですよ。ほれでこう、もうお取次ぎを願われる、ところが私はここからその子供さんの、目を見とったら私の目を一生懸命見るんですね。もうその目のきれいなこと、きれいなことね。まぁ何と言うきれいな目をした子だろうかと、何と可愛らしい顔をした子だろうか、そのことを私だから、神様に一番にお礼を申し上げたんですよね。
 そしたらあの、暖かい心不足と言うことを頂きましたですね。なら暖かい心とはどういうような心だろうと、とこうまぁ私思うわけですが。本当にあの人はぁ冷たい人だとか、ね。人情の厚い暖かい人だとかと言う、そればかりではなさそうですね。神様が仰るその暖かい心不足と言うのは。それでその私ただ今ね、あの暖かい心不足と言うことを頂いたんですけれどもね、あなたがあの冷淡だと言う意味じゃないでしょう。
 親が特に子供を思う時にです、子供を冷淡な目で見たり、こんなものも言わん子はって言った何て思うのじゃない、それこそ屑の子がおればおるほど、可愛いのが親心であって、おありだろうけれどもね、あなたが本当にこの子が先々どげんなるなるじゃろうかと、こう心配をされる心。本当に、どうした、まぁ因果なことじゃろうかとこう、思う心の反対の心が、暖かい心じゃなかじゃろうかと私は思う。
 もう私は今一番に、ここへあんた方が座った時に神様に、何と目のきれいな子だろう、何と、かわいいらしい、息子の子だろう、その娘の子に欲しいような可愛いらしい顔をしてると思うたから私はそのことをお礼を申し上げたらそのことを頂いた。と言ったら、お母さん涙ポロポロ流してからですね、本当にあの可愛いらしいんだ、親から見たらなお可愛いに違いないけどもです。
 ただそういうおかげを受けておることは、棚に上げてしもうて、ただものを言わないという事だけが頭から離れない。先々どげんなるじゃろうかと。どうした因縁因果の深い家に、自分は嫁入ってくるじゃろうかという事だけしかその、ないって言うわけなんですね。冷たい所に良い物は生まれません。ね、寒い国にはそのいわば草も生えん。暖かいところであるほどに、その沢山の植物でも生えますようにですね、やはり私共の心の中にその暖かいという心が、信心によって成長していかなければならんと思うです。
 それは生まれ付きに、暖かい人があります、冷淡な人があります。けどもそれとはちょっと意味が違うんです。そして私はまぁ結論としてその方にお話したことでございますけれども、あのう人の為にでも修行させてもらう、人の為にでも修行させて頂くと言う様な心が暖かい心だと私は思う。私はあの、例えば色が、色々な、赤やら青やらという風にまぁ色々ありますね。
 その中で、私の場合一番嫌いないろと言うたら、あの(柿)カーキ色でした。やはりあの、ダイダイ色なんです。ところがその最近ではそのいろが一番、好きになってるんです。そういうような心が私はあの、暖かい心というのじゃなかろうかとこう思う。あげなやつはフルフル好かんと、思うような、ような人がです、ね、好きになるような心が暖かい心だと私は思うです。ね、
 自分の都合の良い、まぁ自分の好きなとか、と言うのにはまぁ親切にこうしてやる、それは私は暖かい心ではないとこう思う。もうあん信心のない場合はそれこそ、このう相手にもしたくなかったようなタイプの人でもです、それが段々その好きになれる心。ね、一番嫌いな、と思うておったそのカーキ色がです、最近では、反対に一番好きになる色になって、私は皆さんに、申しておりますけれども、椛目の色はどうでも一つあの、カーキ色にしたいと言うて私が思っている。
 私があの旗、団体の旗なんかが出来ますのに、もう何処もほとんど紫なんかの、皆に愛好される色なんですよね。が、旗が多いでしょうが、御参拝なんかさいたしますと。ね、赤とか紫とかが多いんです。カーキ色というのはまだあれだけ沢山、ご本部に集まってくるけど、一つもないです。だから、あんまり誰でも好きな色じゃないらしいんですね。だからやっぱ嫌われるものはやっぱ嫌われるんだけれどもです。
 ところがその嫌われるような人が、一番この頃好きになって来れれると言うこと。それは自分の心が段々冷たい心から、暖かい心になっていきよる証拠なんだ。私はそういう事を、自分で気がつかなかったんですけども、この頃から渡辺先生が参ってみえて、もう私はあのカーキ色が一番好きなんですよって。今度あの、合楽の、塀ができる、瓦と下のところの間が、私がご心願に頂いたのは、カーキ色なんですよって言うて。
 あの渡辺先生が言われるのに、いいですね、カーキ色ってもうあっつい、暖かい色ですからとこう言われる。ははぁカーキ色って言うのは暖かい色だなって私はその時気が付かせて頂いた、なるほど暖かい色ですね。色だけでも涼しい感じがするのなら、冷たい色なんですよ。ね、暖房色とでも申しますかね、何か知らんけれどもこう、カーキ色というのはその、暖かい、ね。
 赤はそれよりかもういっちょ過ぎた熱い心ね、情熱っとか、熱情とか。私はその橙の、色ですね、そのカーキ色を今後椛目の色にしたい。もういっしゅ、何でももし使わなければならない、何色にしたらよいだろうかと言う時にはカーキ色にしなさい、て私が。この頃からも、秋永先生が、この腕章を作らせて頂くのに何色にしたらいいでしょうかっち。カーキ色にしときなさいち。
 カーキ色の腕章って言うてんなんてんまだ見た事のないと言うけれど、私がいんや、私がもうそれが一番好きだからあの柿(カーキ)色にしときなさい。すとちょっと少しこう、色が過ぎたらしくて赤に近いような色が出来て来た。けどもこの頃では段々日にこう焼けて来てから、本当の橙色になってきた。同時に私は有り難いと思うのはね、この橙色に一番、この柿(カーキ)色に一番マッチする色はね、黒なんです。
 もうこれは不思議にこの黒と言う色が一番マッチするんです。神乍な事だと私は思うですね。椛目の椛目で一つこうお互いが橙色になりたいね、好かんもんでも好きになりたいね、そこに私は本当の合楽という、合楽的なあのおかげって言うかね。極楽があると思うんですよね、こっちを見ちゃ気持ちが良いけれども、こっち見りゃ気持ちが悪いと言う様な、世界にするという事は、それは本当の極楽の世界じゃないと思う。
 もうどちらを見ても蓮華な花がさい、咲き乱れておると言うような、私はその雰囲気の中、ね。どちらを見ても、自分の好きな色だとこういうようなです、中に住まわせて頂いてこそ、私はおかげだとこう思う。為には、信心させて頂いて段々段々お互いが一つ本気で、本当の意味合いにおいての、有り難い心であるところの暖かい心というものを、頂かなければいけない。それが育っていかなければいけない。
 ならその、一番暖かい色を頂かせて頂く為に、一番これにマッチする色は黒であるという事。黒であるという事は、私は苦労、苦労はそのまま修行であるという事だと私は思うんです。ね、暖かい心にはどうでも修行がいる。なるほど赤の他人の誰彼の為にでもです、ね、自分を例えば、犠牲にしてでもです。自分は食べんなんでも、その人にでも与えるというような心。その人の為に祈る心なんです。
 そういう心が育って行く。その暖かい心の中にです、それは熱い南国に、肥料しなくてもです、もうそれこそ様々な植物が繁茂するように、ね、私共の暖かい心の中におかげが生まれて来るとこう思うんです、ね。それは自分の子供のことを切実に思わない、また暖かい心で応用しないものはありますまい。けどもそれとはちょっと意味の違ったです、おかげを受けておると言う事を分からせてもろうて、今まで言わば好かん。
 今までは嫌い、今までは難儀とこう思うておった、その難儀という事に対してでもです、御礼が申しあげれるような心。そういう心が暖かい心。一つ一家中で、この暖かい心にならせて頂くと。と言うところに焦点をおいて、信心をなさったらいいですよと言うて、私昨日大石さんという方にお取次ぎさせて頂いたんです、そこから、暖かい心不足という事を頂いてこれは、こう、この人は冷たい人という意味ではない。
 椛目に参っておるご縁を頂いておる皆の人がです、そういう意味合いでおいてなら、もっともっと暖かい心にならなければいけない。貴女の周辺にです本当にあん奴は好かんとか、あげな色は好かんとか、あげなもんな好かんとかというような物がです、あんならばそれはまだ暖かい心ではないという事。今まで嫌いであったと思うようなものが、段々好きになって来よんなら、あなたの心が段々有り難い心に、言わば暖かい心に成長して行きよるのだという事を、を分からせてもらわなければならん。
 (途中切れている)
 の、暖かい心に一番調和するもの。一番マッチするものは修行であるということ。ね、いよいよそういう有り難いもの尊いもの、そういう暖かい心が成長していくことの為にもです、私共は本気で、苦労を厭うてはならない、修行を厭うてはならない。そして、神様からご覧になって、暖かい心と。
私共は本当にやっぱり、その一つの難儀なところだけを見てですね、本当に可愛いらしい顔をしておる、こんなにきれいな目をしておるという、というところにはですね、目を置かずにただ
  「途中切れ」